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神社は祖先を氏神として祀ったことに始まります。

TEL. 0564-31-****

〒444-0943 愛知県岡崎市矢作町字尊所

 矢作神社の三十六歌仙 36KASEN

 三十六歌仙は、平安時代の歌人藤原公任(ふじわらのきむとう、966〜1041、三条左大臣頼忠の長嗣子)が万葉集(日本に現存する歌集では最古のもの)から拾遺集(古今集・後撰集に次ぐ第三番目の勅撰和歌集)頃までの三十六人の秀歌百五十首(柿本人麿、紀貫之、凡河内躬恒、伊勢、平兼盛及び中務の六人は各十首、その他三十人は各三首)を選んで歌合形式とした私撰集「三十六人撰」に由来します。

 「三十六人撰」に登場する詠み人は、次の順となっています。
1.左柿本人麿・右紀貫之
2.左凡河内躬恒・右伊勢
3.左中納言大伴家持・右山辺赤人
4.左在原業平・右僧正遍昭
5.左素性法師・右紀友則
6.左猿丸太夫・右小野小町
7.左中納言藤原兼輔・右中納言藤原朝忠
8.左権中納言藤原敦忠・右藤原高光
9.左源公忠・右壬生忠岑
10.左斎宮女御・右大中臣頼基
11.左藤原敏行・右源重之
12.左源宗于・右源信明
13.左藤原清正・右源順
14.左藤原興風・右清原元輔
15.左坂上是則・右藤原元真
16.左三條院女蔵人左近(小大君)・右藤原仲文
17.左大中臣能宣・右壬生忠見
18.左平兼盛・右中務

 後に「三十六歌仙」と称されるようになって、歌合の流行とともに歌仙崇拝の風潮が強まり、三十六歌仙に倣った各種の三十六歌仙が作られ、室町時代末期頃から扁額や絵馬として社寺に奉納されるようになり、日光東照宮へ奉納されてから全国各地に広まったとされます。

 矢作町矢作神社の拝殿に掲げられている三十六歌仙額の歌は、江戸時代に売り出された「三十六歌仙かるた」と同じものですが、次のように左右(東西)にそれぞれ十八額が掛けられていますが配列は左右が混在し順番もバラバラです。
坂上是則(左15)
源宗于(左12)
山辺赤人(右3)
僧正遍昭(右4)
清原元輔(右14)
源公忠(左9)
藤原元真(右15)
大中臣能宣(左17)
藤原興風(左14)
在原業平(左4)
源重之(右11)
平兼盛(左18)
伊勢(左2)
藤原高光(右8)
藤原権中納言敦忠(左8)
小野小町(右6)
凡河内躬恒(左2)
壬生忠岑(右9)
三條院女蔵人左近(小大君)(左16)
源信明(右12)
柿本人麿(左1)
斎宮女御(左10)
大中臣頼基(右10)
中務(右18)
藤原中納言朝忠(右7)
素性法師(左5)
猿丸太夫(左6)
紀貫之(右1)
源順(右13)
紀友則(右5)
大伴中納言家持(左3)
壬生忠見(右17)
藤原中納言兼輔(左7)
藤原敏行(左11)
藤原仲文(右16)
藤原清正(左13)

 社寺に奉納された三十六歌仙額を掲げる場合は、ご祭神又はご本尊がある所が基準となりますので、参拝者側から見ると左右は逆になります。

 平成二十六年四月九日追記
 この日、岡崎地方史研究会の「中世の城館を歩く会ー菅生郷探検ー」に参加して、菅生神社の拝殿に掲げられている三十六歌仙額を拝見しました。
 これについての詳細は、「研究紀要 第二十九号 岡崎地方史研究会」に杉浦兼次氏の「鶴田鐡山と三十六歌仙」が記載されています。
 菅生神社の掲げ方は左右が逆になっており、研究紀要の歌の記載順は降順(逆順)となっています。

左 坂上是則(さかのうえのこれのり)?〜930

美与之野乃 山乃志良雪 徒毛留良之 布留里左武久 奈里末佐留奈李(以下同様に、この行は異体仮名で標記)

みよし野の 山のしら雪 つもるらし ふる郷さむく なりまさるなり

(御吉野の 山の白雪 積もるらし 古郷寒く なりまさるなり)
 左 源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそむ)?〜939

 常磐奈留 末徒乃三登里毛 春久禮盤 今飛止之保乃 色末左里希李

 ときはなる まつのみとりも 春くれは 今ひとしほの 色まさりけり

 (時はなる 松の緑も 春来れば 今一入の 色勝りけり)
 右 山邊赤人(やまべのあかひと)?〜736か

 和可能浦耳 志保三知久禮盤 可太越奈三 阿之部乎左之天 多須鳴王太類

 和かの浦(ほ)に しほみちくれは かたをなみ あしへにさして たす鳴わたる

 (和歌の浦 潮満ち来れば 潟小波 葦辺に差して 田鶴鳴き渡る)

 「かたをなみ」は「潟を無み」で「片男波」と同意語であるとするものがあるがこれは誤りである。
 「かたをなみ」は「潟を波」即ち「潟小波」であって、「片を波」ではない。
 歌は、和歌の浦の干潟を漁っていた田鶴が、満ち潮のさざ波が葦辺に届くと、鳴きながら飛び立って行く様子を詠んだものであり、波が男波(高く打ち寄せる波)という情景ではない。
 右 僧正遍昭(そうじょうへむしょう)816-890

 太良知禰盤 可ゝ禮止天之毛 廡羽玉能 王加久呂可三越 奈天川也阿里个舞

 たらちねは かゝれとてしも むはたまの わかくろかみを なてつやありけむ

 (垂乳根は 斯かれとてしも 射干玉の 我が黒髪を 撫でずや有りけむ)
 右 清原元輔(きよはらのもとすけ)908〜990

 音那之能 河止曾津ゐ尓 奈可連以津留 以者天物於毛不 人乃奈三多盤

 音なしの 河とそつひに なかれいつる いはてものおもふ 人のなみたは

 (音無しの 川とぞ終に 流れ出ず 言わで物思う 人の涙は)

 左 源公忠(みなもとのきむただ)889〜948

 行也良天 山路久良之徒 本止ゝ幾須 以末飛徒己ゑ能 喜可末保之左尓

 行くやらて 山路くらしつ ほとときす いまひとこえの きかまほしさに

 (行くやらで 山路暮らしつ 不如帰 今一声の 聞か間欲しさに)
 右 藤原元真(ふじわらのもとざね)?〜?

 夏久左盤 志个利尓希利奈 玉保己乃 道遊幾人毛 武春不者加里耳

 夏くさは しけりにけりな 玉ほこの 道ゆき人も むすふはかりに

 (夏草は 繁りにけりな 玉鉾の 道行き人も 結ぶばかりに)
 左 大中臣能宣朝臣(おおなかおみのよしのぶあそむ)921〜991

 千止世末天 加幾連留末徒毛 今日与里盤 支美尓飛可禮天 万与也部武

 千とせまて かきれるまつも けふよりは きみにひかれて 万(よろつ)よやへむ

 (千歳まで 限れる松も 今日よりは 君に引かれて 万世や経む)
 左 藤原興風(ふじわらのおきかぜ)?〜?

 契里希武 己ゝ路曾津良幾 多奈者多能 登之仁飛止太比 安不盤阿不可盤

 契りけむ こころそつらき たなはたの としにひとたひ あふはあふかは

 (契りけむ 心ぞ辛き 織女の 年に一度 逢うは逢うかは)
 左 在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそむ)825〜880

 世乃中尓 多衣天桜乃 奈可利世盤 春能己ゝ路盤 乃止希加良末之

 世の中に たえて桜の なかりせは 春のこころは のとけからまし

 (世の中に 絶えて桜の 無かりせば 春の心は 長閑けからまし)
 右 源重之(みなもとのしげゆき)?〜?

 風越以多三 岩宇川奈美能 於乃連乃三 久太希天物越 於毛不己ゝ路可那

 風をいたみ 岩うつなみの おのれのみ くたけて物を おもふころかな

 (風を痛み 岩打つ波の 己のみ 砕けて物を 思う頃かな)
 左 平兼盛(たいらのかねもり)?〜990

 久連天由久 秋乃可太三耳 於久物盤 我毛止遊飛乃 霜尓曾阿利个類

 くれてゆく 秋のかたみに おく物は 我がもとゆいの 霜にそありける

 (暮れてゆく 秋の形見に 置く物は 我が元結いの 霜にぞ有りける)
 右 伊勢(いせ) ?〜?

 三輪山 以可耳末知三武 登之不止毛 多津奴留人母 阿良之止於毛部婆

 三輪山 いかにまちみむ としふとも たつぬる人も あらしとおもへは

 (三輪の山 如何に待ち見む 年深とも 訪ぬる人も 有らじと思えば)
 右 藤原高光(ふじわらのたかみつ)940頃〜994

 加久者加利 部可太久三遊留 世中尓 宇良也末之久毛 春女類月可那

 かくはかり へかたくみゆる 世中に うらやましくも すめる月かな

 (斯くばかり 経難く見ゆる 世の中に 羨ましくも 澄める月かな)
 左 権中納言敦忠(ふじわらのあつただ)906〜943

 阿飛三天乃 後乃己ゝ路尓 久良不連者 無可之盤毛乃毛 思八左利个李

 あひみての 後のこころに くらふれは むかしはものも 思はさりけり

 (逢い見ての 後の心に 比ぶれば 昔は物も 思わざりけり)
 右 小野小町(おののこまち)?〜?

 色美衣天 宇徒路不毛能盤 与乃奈可乃 人乃己ゝ路乃 花尓曾阿里个類

 色みえて うつろふものは よのなかの 人のこころの 花にそありける

 (色見えで 移ろうものは 世の中の 人の心の 花にぞ有りける)
 左 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)?〜?

 以徒久止毛 春能飛可里盤 王加奈久耳 末太美与之野乃 山盤雪不類

 いつくとも 春のひかりは わかなくに またみよし野の 山は雪ふる

 (何処とも 春の光は 分かなくに まだ御吉野の 山は雪降る)
 右 壬生忠岑(みぶのただみね)860頃〜920頃

 有明乃 徒連那久三衣之 別連与利 阿可川幾者加利 宇幾物八奈之

 有明の つれなくみえし 別れより あかつきはかり うきものはなし

 (有明の 情無なく見えし 別れより 暁ばかり 憂きものはなし)
 左 三條院女蔵人左近(さんじょういむにょくろうどさこむ)

 小大君(こおおきみ)の別称で、生没年は不詳

 岩者之類 与留能知幾利毛 太衣奴部之 阿久類王飛之幾 加徒良幾乃神

 岩はしの よるのちきりも たえぬへし あくるわひしき かつらきの神

 (岩橋の 夜の契りも 絶えぬべし 明くる侘しき 葛城の神)
 右 源信明朝臣(みなもとのさねあきらのあそむ)910〜970

 阿多良与能 月止花止越 於奈之久盤 阿者連志良禮无 人耳三世者也

 あたらよの 月と花とを おなしくは あわれしられん 人にみせはや

 (可惜夜の 月と花とを 同じくは 哀れ知れらむ 人に見せばや)
 左 柿本人麿(かきのもとのひとまろ)生没年未詳

 保乃ゝゝ止 明石能浦乃 阿左霧尓 嶋可久連遊久 舟遠之曾於毛不

 ほのほのと 明石の浦の あさ霧に 嶋かくれゆく 舟をしそおもふ

 (仄々と 明石の浦の 朝霧に 嶋が暮れ行く 舟をしぞ思ふ)
 左 斎宮女御(さいぐうにょご)929〜985

 徽子女王( きしじょおう)の通称名・承香殿女御

 古止能禰耳 峯乃松可勢 可与不良之 以徒連乃遠与里 志良部曾女个舞

 ことのねに 峯の松かせ かよふらし いつれのをより しらへそめけむ

 (琴の音に 峰の松風 通うらし 何れの尾より 調べ染めけむ)
 右 大中臣頼基朝臣(おおなかとみのよしのぶ)921〜991

 飛登不之尓 千世越己女多留 杖奈連盤 川久止毛徒幾之 君可与者比盤

 ひとふしに 千世をこめたる 杖なれは つくともつきし 君がよはひは

 (一節に 千代を込めたる 杖なれば 突くとも尽きじ 君が齢は)
 右 中務(なかつかさ)912頃〜991頃

 秋加是乃 不久耳川个天毛 止者奴可奈 荻乃葉奈良ハ 於止盤志天末之

 秋かせの ふくにつけても とはぬかな 荻のはならば おとはしてまし

 (秋風の 吹くにつけても 問わぬかな 荻の葉ならは 音はしてまし)
 右 中納言朝忠(ふじわらのあさただ)910〜966 号土御門中納言

 安不己止乃 多衣天之奈久盤 中ゝ耳 人越毛身遠毛  宇良美左良末之

 あふことの たえてしなくは 中々に 人をもみをも  うらみさらまし

 (逢う事の 絶えてし無くば 中々に 人をも身をも  恨みざらまし)
 左 素性法師(そせいほうし)844頃、〜910頃

 見王太世盤 柳左久良越 己幾末世天 美也己曾春乃 尓之幾奈利希類

 見わたせば 柳さくらを こきませて みやこそ春の にしきなりける

 (見渡せば 柳桜を 扱き混ぜて 都ぞ春の 錦なりける)
 左 猿丸大夫(さるまるたゆう)生没年不詳

 於久也末尓 紅葉不三王希 奈久之可能 声幾久登幾曾 秋盤加奈之喜

 おくやまに 紅葉ふみわけ なくしかの 声きくときそ 秋はかなしき

 (奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき)
 右 紀貫之(きのつらゆき)872頃〜945頃

 桜知留 木能志多風盤 左武可良天 曾良仁之良連奴 雪曾不里个類

 桜ちる 木のした風は さむからて そらにしられぬ 雪そふりける

 (桜散る 木の下風は 寒からで 空に知られぬ 雪ぞ降りける)
 右 源順(みなもとのしたごう)911〜983

 水能於毛耳 天留月奈三越 可曾不連馬盤 己与比曾秋乃 毛奈可那里希類

 水のおもに てる月なみを かそふれは こよひそ秋の もなかなりける

 (水の面に 照る月並みを 数うれば 今宵ぞ秋の 最中なりける)
 右 紀友則(きのとものり)生没年未詳

 秋可是耳 者徒可里加年曾 幾己遊奈留 多加太末徒左越 可希天幾川良舞

 秋かせに はつかりかねそ きこゆなる たがたまつさを かけて来つらむ

 (秋風に 初雁が音ぞ 聞こゆなる 誰が玉梓を 掛けて来つらむ)
 左 中納言家持(ちゅうなごむのやかもち)718頃〜785 大伴家持

 春乃野耳 阿左奈幾須乃 徒末恋耳 於乃可阿里可越 人尓志連徒ヽ

 春ののに あさなきすの つま恋に おのかありかを 人にしれつつ

 (春の野に 漁る雉の(朝な来ずの) 妻恋に 己が在り処を 人に知れつつ)
 右 壬生忠見(みぶのただみ)生没年未詳

 恋春天不 王可名盤末太幾 多知尓希里 人之連須己曾 於毛比曾女之加

 恋すてふ わか名はまだき たちにけり 人しれすこそ おもひそめしか

 (恋為てふ わが名は未だき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひ初めしか)
 左 中納言兼輔(ちゅうなごむのかねすけ)877〜933

 藤原兼輔 通称堤中納言

 人乃於也乃 己ゝ路盤也三尓 阿良禰止毛 子越於毛不三知尓 末止比奴留可那

 人のおやの こころはやみに あらねとも 子をおもふみちに まとひぬるかな

 (人の親の 心は闇に 有らねども 子を思ふ道に 惑いぬるかな)
 左 藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆき)生年未詳〜901

 秋幾奴止 女尓盤左也可尓 美衣禰止毛 可世乃音尓曾 於止路可連奴類

 秋きぬと めにはさやかに みえねとも かせの音にそ おとろかれぬる

 (秋来ぬと 目には清かに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる)
 右 藤原仲文(ふじわらのなかふみ)923〜992

 阿里安希能 月乃飛可利越 末徒保止尓 王可世乃以多久 不希尓个類可那

 ありあけの 月のひかりを まつほとに わか世のいたく ふけにけるかな

 (有明の 月の光を 待つ程に 我が世の甚く 老けにけるかな)
 左 藤原清正(ふじわらのきよただ)生年未詳〜958

 天津可是 不希ゐ乃浦耳 ゐ留多徒乃 奈止加雲井尓 可部良左類部幾

 天津かせ ふけゐの浦に ゐるたつの なとか雲井に かへらさるへき

 (天つ風 吹飯(深日)の浦に 居る田鶴の 何どか雲居に 帰らざるべき)

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