矢作町四区の竊樹社拝殿の壁面に、村役、年寄衆、若者頭及び加茂大明神の頃の宮係である年行司連署の「若者掟書之條」が掲げられています。
若者組とは、江戸時代に組織された青年集団で、若者連中、若者衆、若者組、若衆契約又は二才組(にせぐみ)など様々な呼び方をされていた青年男子の集団の総称です。
若者組は一般的に十五歳以上の村の男子で構成され、若者組に入った者は一人前と見做されて、先輩や村役、年寄衆などから礼儀や村の慣行、更に性の知識などについて教育を受け、防犯や防災など治安活動、災害時の救助活動、普請時の労働力の提供、祭礼行事などの手伝いに関わるなどして、村政の一翼を担い、社交や教育の場にもなっていました。
この若者組が時代を経て、昭和時代の終戦後は青年会や青年団と名を変えて再編成されてきました。
血気盛んな年代者の集まりである若者組又はその一部の者が、時や場所によっては羽目を外すことがあり、このような場合には村役や年寄衆に諫められたり、幕府から御触れが発せられたり、近代に於いてや警察沙汰になったりしたことがありました。
下の画像は竊樹社の社殿に掲示してあるものの文面ですが、「若者掟書之條」から数行が欠落しています。
若者掟書之條
一、御公儀様御法度之儀者不及申村方之御作法堅相守可申事
一、若者初寄合之儀者毎年正月十六日に相定其節他行無之可罷出若又格別之用事有之候はヽ懇意之者ニ頼合可罷出事(ここまでが欠落)
一、若者頭之儀村方より申付被置候通り堅相守相勤可申候尤退役之義ハ村方より免之有之候末て相勤可申事
一、婚禮ハ不及申其外何事之酒講ニも無禮無之様ニ可相嗜事
一、夜遊等罷出其節老達并中老同座有之候ハバ別而禮義可糺事
一、寄合等之節他行無之附り密談之趣堅他言いたす間敷事
一、惣而博奕等并諸勝負可相嗜たかひに吟味いたし若者頭江可申出事
一、親孝行者不及申惣而年上成友達之云渡決而相背申間敷尤筋違之儀ハ違変可仕猶又不儀不埒等堅可相嗜事
右之條之堅相守可申若又相背輩等有之候ハバ早速ニ若者頭江可申出者也
文化十一甲戌正月十六日
畔柳太郎右衛門
新海丈右衛門
文政六癸未八月改 酒井次兵衛
岩月因助
生駒彦十郎
酒井庄助
鶴田龍左衛門
酒井源兵衛
鶴田利右衛門
石川専左衛門
岩月文吉
新海良助
新海民蔵
松江清重郎
若者頭 新海伊助
同 岩月彦七
同 岩月伊兵衛
年行司 畔柳平吉
同 鶴田善六
本文訓み下し
若い者掟書きの條
一、御公儀様御法度の儀は申すに及ばず、村方の御作法堅く相守り申すべし事。
一、若い者初寄り合いの儀は毎年正月十六日に相定め、其節他行これなく罷り出るべし。
若し又格別の用事これあり候はば、懇意の者に頼み合い罷り出るべし事。
一、若い者頭の儀、村方より申付置かれ候通り堅相守相勤め申すべく候。
尤も退役の儀は村方より免じこれあり候まで相勤め申すべし事。
一、婚礼は申すに及ばずそのほか何事の趣向にも無礼これなき様に相嗜むべし事。
一、夜遊び等罷り出其節老い達並びに中老同座これ有り候はば別けて礼儀を正すべし事。
一、寄合等の節他行これ無く、附けたり密談の趣き堅く他言いたす間敷き事。
一、惣じて博奕等並びに諸勝負相嗜むべく互いに吟味いたし若い者頭へ申し出るべし事。
一、親孝行は申すに及ばず、惣じて年上成る友達の言い渡し、決めて相背き申す間敷く、
もっとも筋違いの儀は違変仕るべし。猶又不義不埒等堅く相嗜むべし事。
右の條の堅く相守り申すべし。若し又相背き輩などこれあり候はば、早速に若い者頭
へ申し出るべしものなり。
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