溺死菩提宝塔
弥五騰社の境内に「南無妙法蓮華経 賜紫身延五十八代日環」と刻された宝塔が建立されています。
文政十一年七月一日(1828・8・11)に大洪水のために堤防が切れて家や人畜が流されて十四人が溺死しました。
この時の亡霊追善のために文政十三年十月十六日(1830・11・30)に「溺死菩提」として建立されたのがこの宝塔です。
参河聰視録矢作村第三巻に「文政十一戊子秋八月朔日降水溺水之亡霊追福の爲同十三庚寅天保改元年冬十月十六日建立す御城主本多中務大輔藤原忠孝卿御代なり碑石の図銘如左」と載せています。
因みに天保元年は十二月十日(1831・1・23)からで、十月十六日(1830・11・30)はまだ文政十三年です。
図銘の内容は次の通りです。
正面:「南無妙法蓮華経 賜紫身延五十八代日環 溺死菩提」
右側面「一天四海皆帰妙法後五百歳中廣宣流布天下泰平國土安穏五穀豊穣民快樂」
左側面「南無日蓮大菩薩 五百五十御遠忌」
裏面「題目壱萬部 去文政子初秋水難溺死為追善寶塔一基捧造立宗祖報恩 文政十三庚寅年八月吉祥日」
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矢作町界隈記
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