矢作町字末広に鎮座する十五等級竊樹神社(ひそこじんじゃ)は、矢作町五区氏子の氏神様(鎮守)です。
昭和二十八年四月十一日、碧海郡矢作町大字矢作四区の南部(名古屋鉄道の線路を境としてその南側)に位置する第二十一組の戸数百五十余戸の区民は、矢作町役場に於いて新たに発足した大字矢作五区の区長選出を行い稲垣豊作が選出されて新しい町を発展させる決意集会を挙行し、同年度後期の区長は神谷良平に代わりました。
昭和二十九年四月二十五日、大字矢作五区は字盗人木十一組内に神社の社壇、祠及び社務所の新築を開始し、同年九月十八日に矢作四区字祇園に鎮座する竊樹社の祭神御気津神を分祀して勧請し、矢作町大字矢作五区竊樹神社としました。
昭和三十年四月一日、碧海郡矢作町は岡崎市へ編入されて旧矢作町の大字が町名となり、旧矢作町大字の区長又は大字連絡員と呼ばれていた自治会の代表は、岡崎市が昭和二十八年八月一日の町村合併後に自治会の代表者名を統一していた総代と呼ばれるようになりました。
岡崎市へ編入後の某年、矢作町五区十六組である字盗人木に鎮座していた矢作神社の祭神御気津神は周辺一帯の改良工事のため、再び矢作町四区の竊樹社へ預けて合併されました。
昭和四十一年、区民の強い要望により字盗人木の地名を字末広と改める議案が岡崎市議会議で決議されて岡崎市から七月二十八日付けで変更が告知され、その後の間もない頃に預けていた御気津神の祭神を竊樹神社へ遷座しました。
昭和四十四年十一月七日、竊樹神社を改築して法人登記するための社殿造営委員会が設立されました。
昭和四十五年五月三十一日に竊樹神社の御祭神仮遷座の儀式が行われて御祭神は社務所内に仮安置され、その後社壇及び木製の明神鳥居などは解体されて撤去されました。
同年六月七日に地鎮祭が行われ、七月十二日には上棟祭が行われ、九月二十日に竣工祭が挙行されました。
昭和四十六年十二月二十日、矢作町五区の申請に基づき竊樹神社は愛知県神社庁から財団法人竊樹神社として認可されました。
昭和五十六年に公民館建設準備委員会を設立し、翌年八月十五日に公民館建設竣工式を行いました。
現在の例祭日は十月の第二日曜日となっています。
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